2021-05-20 第204回国会 参議院 厚生労働委員会 第17号
これ横浜の、横浜訴訟の原告団長の声が紹介されておりました。 最高裁判決は、命あるうちの解決をと望んでこられた原告、遺族に救済の道を示したものとなったと受け止められていると思います。非常に時間掛かったということだとも思います。 厚労大臣と原告団で五月十八日に基本合意書が交わされることとなりました。大臣談話、是非御紹介いただきたいと思うんですけれども、おわびの内容というところです。
これ横浜の、横浜訴訟の原告団長の声が紹介されておりました。 最高裁判決は、命あるうちの解決をと望んでこられた原告、遺族に救済の道を示したものとなったと受け止められていると思います。非常に時間掛かったということだとも思います。 厚労大臣と原告団で五月十八日に基本合意書が交わされることとなりました。大臣談話、是非御紹介いただきたいと思うんですけれども、おわびの内容というところです。
配付した資料、被害者の一人であります、福島原発かながわ訴訟原告団長である村田弘さんのインタビューの抜粋を載せました。私が今日お話ししたこと、被災者の思い、資料の中にあります。責任者の顔がはっきり見える、加害者がいまだに踏ん反り返っている、被害者の苦しみは千人千様とのことです。 重ねてお願いしますが、被災者の皆さん、避難者の皆さんは被害者です。国策の末に発生した原発事故の被害者です。
また、原告団長の娘さんは、被害原告の年齢、病気の身を案じれば国も企業も解決を急いでほしいと切々に訴えられておられます。 大臣は、国の責任及び建材メーカーの責任を断罪した今回の最高裁の決定を受け、政府の一員としてこの重さをどう受け止めているのか、答弁願いたい。
原告団長の宮島和男さん、お会いになったと思いますけれども、実に九十一歳であります。お会いになっていかがだったでしょうか。 ここに至るまでは本当に長い道のりでありました。全国各地で裁判を闘っている原告は千百五十六人、うち死亡者が九百三十二名、救済されないままに七割がお亡くなりになっている。
一方、原告団長の林力さんが、この合意の後に、百八十万であがないましたと合点する者は誰もいないと述べられているように、家族の受けてきた人生被害、これ踏まえれば、苦渋の決断があったということを立法府に身を置く者として深く受け止めたいというふうに思っております。 まず、参考人に確認したいと思います。
十月二十四日、両議員懇談会の合同会議におきまして骨子案が了承された際、原告団長から、胸がいっぱいだ、きょうの日を迎えることができてありがとうの言葉しかない、今後は偏見、差別解消に向けた啓発、教育が大きな課題になるという旨のお話をいただきました。
○仁比聡平君 厚労大臣も被害者の声を直接お聞きになった経験がおありかもしれませんし、是非聞いていただきたいと思うんですが、ある原告団長は、皆命を削って裁判を闘っている、こんなに苦しい裁判をしなくても救済できるようにしてほしいと、そう声を上げておられます。
原告団長だから控訴した、そういううがった見方も、まあそういう意図はなかったかもしれませんが、しないわけではないわけです。 山本さんは、ほかの疾病で既に原爆症の認定を受けているわけです。
ここでも紹介されているんですが、新潟水俣病第五次訴訟団の原告団長を務める皆川栄一さんという方がこの一番上の段で紹介をされております。
二〇一一年十二月二日の本委員会で、原告団長の谷口三枝子さんが出席して意見陳述を行っております。 谷口さんは、このようにおっしゃいました。「私は、発症後十九年で提訴しました。提訴したのは、その直前に新聞でB型肝炎訴訟のことを知り、弁護団に連絡したことからです。発症がもっと早かったら、あるいは訴訟のことを知るのがもっと遅かったら、発症後二十年の提訴となっていました。
初めに、きょう意見陳述していただいた原告団長の谷口三枝子さんに心からお礼を申し上げます。 前回の参考人質疑のときは、後ろの席に座って、発言が許されず、どんなにか悔しい思いをしたことでしょうか。きょうの委員会も日程が大変十分なものではありませんけれども、法案がたとえ成立しても、それでよしとしないで、さらに力を尽くしていきたい、このことをお約束したいと思います。ありがとうございました。
原告団長の近沢昭雄さんは、二〇〇二年七月の半ば、インターネットでイレッサについて書かれたサイトを見つけました。夢のような新薬、副作用が少なく、自宅でも手軽に服用できる画期的な肺がん治療薬などの文字が輝いて見えたといいます。ネットだけではありません。
また舛添大臣になってからも、原告団長だった木村伸一さんが昨年一月八日の本委員会で参考人に立ち、最高裁判決があったにもかかわらず、いまだに国からの謝罪もないのだ、このような発言をされております。 それからもう一年半たっておる。なぜ今日までおくれてしまったのでしょうか。面会に当たって、大臣はどのような意思、決意を表明されたのか、お答えください。
例えば、いろんな方たちの証言やいろんなものを見ますと、例えばある方の、これは原告団長の訴えなんですが、一番最初に亡くなった人は四キロの地点でセミ捕りをしていたときに被爆した同窓の友人であると、被爆から十年目だったけれども、死因は白血病であると。私より二歳年上の女性は、四・一キロの自宅で被爆をして、看病をした上で肺がんで亡くなったと。
原告団長の山口さんも新聞のコメントで、二〇〇四年に国がきちんと指示を出していれば、もっと被害者の掘り起こしが進み、早い対応がとれたはず、薬害の深刻さを隠そうとしていたとしか思えないと批判しているんですよ。これは隠ぺいですよ。もしそのときに、ちゃんと告知して、カルテがあると言っていたら、医療費助成もことしの四月じゃなくて三年前からできていたかもしれないじゃないですか。
例えば、国賠訴訟の原告団長の藤山忠さんからは、不愉快な発言です、何を根拠にこんな発言ができるのか、その真意、意図が知りたい、一言で言うなら、身に覚えがないことで四年間余り裁判を闘って全員無罪になって、現在国賠で闘っている原告団長として抗議をしたい、こういうお話です。
原告団長の山口参考人にお伺いをいたします。 まず、原告団の皆さん、弁護団の皆さんに心から敬意を表したいと思います。皆さん方の闘いが薬害根絶へ、あるいは被害者の救済と抜本的肝炎対策への道を開いたと思うんです。
これから始まった薬害肝炎が、〇三年の四月に原告団長の山口さんが実名を公表された、このことによってメディアにも大きく知られることになり、初めてそのニュースを通して、私もそうではないか、そのようにいろいろな方たちが被害に気づき、提訴に踏み切って、今は二百名を超える原告団になってきた。ですから、お一人お一人がそこに踏み切るまでの苦しみを乗り越えてきたことの思いを理解するべきだと思うんです。
本日午後は、法政大学名誉教授、テロ特措法・海外派兵違憲訴訟原告団長尾形憲君、自営業加藤正之君、駒沢女子大学学生田中夢優美君及び学習院女子大学教授畠山圭一君、以上四名の公述人の方々に御出席いただいております。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
局長 桐山 正敏君 公述人 東京大学学生 大井 赤亥君 横浜国立大学教 授 北川 善英君 開倫塾塾長 林 明夫君 主婦 藤井富美子君 法政大学名誉教 授 テロ特措法・海 外派兵違憲訴訟 原告団長
らい予防法が廃止されて二年を経過して、この裁判に踏み切ったときの原告団長の言葉であります。そして、三年に及ぶ裁判闘争を踏まえて、本月十一日、画期的な判決が出されたわけであります。